ひいては、いくら掃除しても汚くなる教室。
毎日洗っていない服と体。
真っ黒な手でご飯を食べようとする子どもたち。
真っ黒な手でご飯を食べようとする子どもたち。
……という具合。衛生面において、愕然とした。
確かにこの学校の子どもたちや村の人々は、生きるか死ぬかを彷徨うほどの状態ではない。
でも栄養失調で色が抜け茶色の髪の子どももいるし、
お腹がぽっこりでている子どももいる。
“1日1ドル以下で生活している人々”というくくりをすれば、
当てはまる人は少数ではないと思う。
周りには公立の学校もたくさんある。
でも1年に何百円という代金を払う位なら1円でもいいから多く稼ぎたいだろう。
このサイクルは、昔から変わらない。
だから学校に行っている親さえ少ない。
親が学校に行っていなければ、子どもを学校に行かせることがいかに大事だという概念を知る由は、ない。
発展途上国において、いかに教育が大事であるかということを、私は身をもって体験し、目で見てきた。
大げさでなく、私たちが当たり前に知っている「人を殺してはいけない」「お金を払って物を買う」ということも、教育を施されなければ分からないのだ。
そして文字を知らなくて起こる犯罪もインドにはたくさんある。
親が毎日学校へ行くことを大事に思わなければ、子どもだってお手伝いが終われば遊びほうける。
だからまず「毎日学校へ行く」こと。
当たり前のことだけど、まずは基本的なコレを真剣に取り組むことにした。
学校に来る子どもたちは、年齢も体格も学力も全然違う。
日本の子どもよりはるかに小さく、発達も遅いけれど、伸びる力は果てしない。
私が赴任して半年。
ヒンディー語(インドの公用語)の読み書きが出来るようになり、数字も分からなかった子が、
4ケタ×4ケタの掛け算や、難しい割り算も出来るようになった。
英語も日本語も普段から使うことが増え、簡単な言葉を耳にすることも少なくない。
毎日何十ページと作る問題や宿題。
授業が終わる頃には私の腕もクタクタなのに、「もっと欲しい」と言ってくる子どもたち。
そんなキラキラした目で見られたら、私の腕も疲れを忘れる。
宿題を忘れた子どもにわざと怖い声を出して怒ろうとする。
その時、私が声を発する前に覚えたての「I'm sorry」を言われると、
ついつい顔がほころんでしまう。
ちょっとずつだけど、確実に子どもたちは心も体も大きくなっている。
もちろん私も同じく成長している。いや、させてもたっていると言った方が正しいかな。
こんな子どもたちの未来のため、この村のため、この学校を出来るだけ長く継続していきたい。
そして偶然にも私はこの学校にいる。
日本人のボランティアの人たちもたくさん来てくれている。
この特権を活かして、私たちにしか出来ない何かを伝えていきたい。
この子どもたちにだって、お金はなくとも、未来の可能性は無限にある。
日本に生まれて、世界を回れて、私は思う。
夢をもてることは何て素晴らしいことなのか、と。
だから少しでも多くの子どもたちに夢を与え、それを叶えられるようにサポートしてあげられるような先生でいたい。
そうすることで、子どもたちは勿論、私や、今まで手伝ってくれた、そしてこれからも手伝いに来てくれる日本人ボランティアの人たちの夢も叶うことになる。
そのために、この学校の運営のため、学校の2階にゲストハウスを作った。
素人の日本人ボランティアをインド人とで協力し合い、すべて手作り&村の人たちが生活の中で利用しているものをフル活用して、きっと誰もこんなゲストハウスは見たことないであろう、素敵な仕上がりとなった。
ゲストハウス収入はすべて学校の運営費に回し、少しでも良い教育の場を、子どもたちや協力してくれる人たちと一緒に創っていきたい。
ただ今インドの夏。
酷暑だ。しかも今年は50度を越えるだろうとインド人も豪語している。
4月の今でさえ、何年かぶりに私も子どもと一緒に鼻血を出してしまった程(笑)。
それでも朝の学校には愛くるしい子どもたちの姿が揃う。
徐々にだけど、毎日出席できる子が増えてきた。
うぬぼれかもしれないけど、子どもと私は見えない何かでつながっているように思う。
愛せば愛すほど、答えてくれる。
笑顔で返してくれる。
いつも私は子どもたちを見ながら、何を伝えられるかと考える。
目でみてそれを文字にできる。
これはすごく気分が良い。
だって今も隣には子どもたちが笑っているから。
※旅学4号 掲載原稿より